さよならパーフェクトヒューマン

完璧主義と大学受験

 僕が胃腸の調子がはっきりと悪いと感じたのは大学1年の時。とはいえ、大学に入る前も他の人と比べればお腹は緩い方だった気がします。高校時代は、数学が好きで、高校2年のときには仲の良い友達と週末に集まって数学の勉強会を開いていました。高3に上がる春休みに、高3の数学(当時は数IIIと数C)の内容を一気に勉強したのを覚えています。それは誰に言われた訳でもなく、高3の問題集を自分で購入し、春休み中に終わらせることを目標とし、マイペースに取り組んで達成したのです。成功体験は自信に繋がり、概ねいいことだと思います。受験期は、ただ勉強だけしていればよい、という後にも先にも最も気楽な時期でした。ただ、一方で完璧主義や潔癖に近い性格に拍車がかかったのもこの時だったかもしれません。

 大学受験の次の日、お腹を壊しました。受験という大舞台を無事に乗り切った安堵感から、緩んだんだと思います。この時は合否判定もまだ出ていませんでしたが、すべり止めも受かっていたのでやり切った感がありました。精神的な疲労がお腹に影響を及ぼすことを身をもって知ったのですが、まだこの時はそのことを直視する必要を感じていなかったと思います。

 

大学1年生、通学と講義

 無事に希望する大学に入ると、生活は変わりました。1番の変化は通学で、高校では自転車で25分だったのが、毎日満員電車に乗り、3回も乗り換えて約1時間。満員電車では、人に迷惑をかけてはなるまい、とつり革や手すりを握り、流れに逆らうように、自らが柱と一体になるように努めました。

 学業でも難しくなった講義やライバルの多さにプレッシャーを感じていました。おまけに高校は男女共学で明るかったクラスも、大学ではほとんど男子学生ばかりで、多様性に欠け、何となく暗い、元気のないイメージ。次第に胃の調子が悪くなり、病院で胃薬をもらうようになりました。

 空腹になると胃によくないので、この時はコンビニやスーパーで150円くらいで売っている5,6個入のレーズンロールパンを必ず持ち歩いていました。空腹で講義を受けていると、お腹(胃の辺り)からキュルキュルと音がしてきます。お腹がすいた合図の「グー」とかそんな可愛いものではなく、「キュルキュルキュルキュル」という感じで鳴るんです。周期的に続き、空腹なのに胃酸が出てそうで、放っておくと胃が荒れるんじゃないか・・・そんな時、パンを食べるとそうした症状は一時的に収まり、少し楽になったものです。

 また、胃の不調だけではなく、喉に常になにかがひっかかっているような違和感(異物感)がある「咽喉頭異常感症」も出てきました。明らかに異常でしたが、友達が「おやじも学生時代にその症状があったらしいよ」と聞くくらいで、周りにはあまり知られていないようでした。

 

大学病院と同期の「先輩」

 胃の症状は波がありましたが、断続的に続くことになります。自宅の最寄り駅の近くにあった大学病院の内科に1,2か月に1回行ってましたが、1、2時間待合室で待たされても、診察では、前回から少し間が空くと血液検査を行い、触診の後、「薬出しておきます。運動しましょう」くらいなもので、結局いつも通りムコスタという胃の粘膜を保護してくれる薬をもらうだけでした。当時は当然スマホもなく、読書習慣もなかったのでこの待ち時間は苦痛でした。フードコートのような受信型ベルを渡してもらえれば、病院外で待つのに…と外来のシステム改善のことばかり考えていたのを覚えています。

 大学のサークルの同期に、同じような体調不良を患っている「先輩」がいました。今、仮に彼をT君とします。T君は心療内科にも通っており、向精神薬(確か抗うつ薬)や筋弛緩剤を常に持ち歩ていました。T君によると、「胃の不調→緊張→肩こりと悪循環を起こすので、どこかで断ち切る必要がある」とのこと。T君に胃の不調について相談すると、僕の眉間の辺りに指を近づけ、「これ、どう?嫌な感じしない?」などと聞いてきたのを覚えています。素直に嫌であることを認めると、「あー、やっぱり傾向あるよ」と。当時はそんなもんなのか、と思いましたが、誰だって眉間の前に指を近づけられたら嫌ですよね?きっと。

 ちなみに心療内科は人気で、(今はどうなのか分かりませんが)予約を入れようにも3か月待ちや半年待ちが当たり前とのことで、行く気をなくしました。

 

胃カメラとアンケート

 胃は徐々に悪くなってきました。大学1年の冬だったか正確には記憶が定かではありませんが(※1)、いつもの大学病院で、これまで以上に何とかならないのかと訴えたところ、胃カメラをやることになりました。胃カメラをやることに抵抗がなかった訳ではありませんが、少しでも状況が好転するなら、いや、最悪好転しなくても原因を知りたい、という思いから即決しました。

 胃カメラ当日。前日もキリキリと痛む胃痛があり、間違いなく何かある、という確信がありました。胃カメラの前に、アンケートを渡されました。アンケート項目はほとんど忘れてしまいましたが、完璧主義のような性格に関わる項目や自律神経の乱れからくる症状の有無などの項目ばかりがずらりと並んでいたと思います。そのアンケート項目はまるで自分のことかと思えて目から鱗でした。胃の不調と性格傾向の相関がはっきり結果に表れるはずで、たとえ仮説であっても相関が分かってるなら、今後の治療は期待できるかもしれない…と思ったのでした。

 さて、この時の胃カメラは経口内視鏡(口から内視鏡を入れるやつ)だったので、僕には結構な地獄でした。何がつらいかは詳しくは書きませんが、途中で医師(?)が「あー、あるある!」などと言っていたのですが、僕にはモニタの方を向く余裕はありませんでした。みなさんも受けることがあれば、病院によって選ぶことができる経鼻内視鏡(鼻から入れる)をお勧めします。経鼻内視鏡がどんな体験なのかは、また別の記事にします。

 後日、内視鏡検査の結果が出ました。胃炎が3か所、びらんが3か所。確かに、胃は痛んでいたようです。また、生検(※2)の結果、ピロリ菌はいませんでした。確かに、胃の不調は客観的に認められました。ところが、満足に原因は説明されず、処方される薬は前と変わりませんでした。僕は、あのアンケートはいったい…と憤りを感じるばかりで、結局好転にはつながらず、原因も分からずじまい。まあ、腫瘍がなかっただけよしとすることもできますが…。

※1内視鏡の日程:当時の手帳が発掘されて日時が判明。1998年9月30日8:45~でした。前日の食事は18時までだそうで。すごいな当時の手帳。

※2生検:内視鏡で胃の粘膜の一部を切り取って、菌や腫瘍の存在を詳しく調べる検査。

 

妥協、そして快方へ

 大学2年に入っても、胃の調子は不安定でした。体力的にも精神的にも疲れ果て、色々なことに気が回らなくなってきました。勉強もおろそかになり、色々とあきらめざるを得ない状況に追い詰められたとき…、もう現状を受け入れ、妥協することにしたのです。いや、もっと言えば、今のふがいない自分を否定する自分をやめたのです。当時は、自分で性格を悪い方へ改造する、という決意もあったと思います。完璧主義を完全に捨てる覚悟をしました。人から「テキトーな人」と思われても構わない。テストは悪くてもベストエフォート、どんなに低くてもそれ以上を望まない。通学電車の中でも、流れに身を任せることにしました。

 症状に波があり自分の気持ちも見えないので、はっきりとは因果関係が分かりませんが、色々なことをあきらめることで、胃の調子や咽喉頭異常感症も徐々によくなってきました。こうして、約1年半にわたり続いた胃や喉の不調は、概ね回復することになります。

 

今、思うこと

 今回の記事では、一番書きたかった学生時代の胃(と喉)の不調のことを書きました。回復して、後になって、あの時胃が悪かったのはなんだったのだ、と思うことがたびたびあります。胃の不調は、ちゃんと診断をしていただけませんでしたが、神経性胃炎(機能性ディスペプシア:FD)だったのではないかと思っています。不調のきっかけや拍車をかけていたのは、おそらく満員の通学電車です。毎日のあの非日常体験は、明らかにストレッサーになっていました。満員電車に乗らない努力もできたかもしれませんが、僕の場合は現状を受け入れることで、ストレスの軽減が図れたように思います。答えは一つではないと思いますが、ストレスを軽減するために、自分の性格を意図的に変えるのも一案です。僕の場合は追い詰められて変えたので、一般にオススメできる案ではないのかもしれません。ただ、そういうケースもある、と前向きに捉えていただければ、と思います。ちなみに、今でも締め切りなどにルーズな、テキトーな人のままです。人に迷惑をかけている自覚すらあんまりありません。みんなお互い様でどうにかなるもんです。

 また、このときの経験から、西洋医学の病院に、ストレスが原因の症状の根本改善は期待できないというのを痛感しました。西洋医学では、臓器の器質的(物理的)な異常は改善できますが、異常を起こしている原因が心因性のものであると(おそらく分からないことが多くて)対処できません。もう少し別の言い方をすれば、性格や体質に基づく原因そのものをどうにかできる術がないのです。今後遺伝子治療などが進めば話は変わるかもしれませんが、現状ではすべての仕組みを科学的に理解しようとする西洋医学的手法に根本治療を期待しない方がいいでしょう。