抗原検査体験

ざっくり概要

 本日夕方、新型コロナウイルスの検査を受けてきました。一応、陰性でした。このブログは胃腸の話がメインではありますが、健康繋がりということで、自分が興味をもった点を中心に、検査に至る経緯や検査の様子をさらっとまとめておきます。とはいえ、厚労省のページによると本日(5/10)時点で累計のべ1200万人以上がPCR検査を受けているそうなので、全然珍しい話でもないんですけどね。

 

経緯

 5/5(水)朝、喉の痛みや倦怠感があり、ちょっと風邪っぽいなーという感じでした。コロナ禍になって初めて風邪っぽくなり、

(ついにコロナにかかってしまったのかもしれない・・・)

と腹をくくりましたが、風邪にしては症状があまり悪化せず。熱も36.9度で、実はいつもこのくらいです。5/6,7は寝起き以外症状がないので普通に家でテレワークしてました。

(コロナはおろか、風邪ですらなかったのではないか…?)

とも思ったりもしましたが、5/8,5/9はやっぱり調子がイマイチ。運動するとだるくて早めに切り上げたりして。コロナなのか風邪なのか分からないままでは出勤もできないので、月曜に検査を受けることにしました。

 

病院選び

 月曜日、本日。検査を行っている病院は、電話で市の発熱相談センターに2つほど教えてもらいました。1つ目はいつも通院しているところで、電話をかけると、

「発熱外来は一般の診療後になるが、一般の診療が160分待ちなので遅くなることが予想される」

 とのこと。もう1つの病院に電話をすると、時刻を指定されて、割とすんなり受けられることに。病院によって、診療時間や診療場所などの検査体制は結構違うみたいです。ただ、

「検査の結果を証明する書類は出せませんよ」

と言われました。事実が分かれば十分なので、行くことを伝えました。

 

検査

 指定時刻に病院に行き、屋外の指定場所で待機していると、ほぼ時刻通りに受付の女性が来ました。マスクはもちろん、フェイスガードに手袋をした状態で、透明のクリアケース状のビニール袋を2つ持っています。

「ここに診察券と保険証を入れてください」

 感染のリスクを冒しながら接客していただいている受付の方に恐縮しながら、言われた通りにします。

「看護師が来るのでここで待っててください」

 数分の後、全身紺色の防護服のようなビニール質の服を着た女性が来ました。

「検査場所まで案内します」

 ついていくと、病院の裏に回ることに。洗濯物が干してあったり、裏山の鳥の鳴き声がなんとも裏に来た感じを醸し出しています。紺色のテントで作られたブースが2つあり、その中のパイプ椅子に腰かけるように言われました。テントの広さは2畳ほどで、その3方を上から下まですっぽり包み込むように覆っています。奥の上の方に大きな空気穴があり、風通しは十分あります。

「ここで先生が来るまで待っていてください」

 座っている椅子は、テントの入口向きでちょうど今から来る先生を迎える体勢ですが、目の前に机があり、机の上にはコの字型のアクリル板が置かれていて物理的には遮断されています。いや、よく見ると、下に手を通す穴が2つ空いていました(下の写真)。

 

f:id:kyojakuquest:20210510210942j:plain

アクリル板の手を通す穴

 ほどなくして院長先生が簡単な防護服を身に着けてやってきました。

「ええと、今から抗原検査を行います。抗原検査というのはPCRじゃないんだけど、90%だからちゃんと診断していいことになってます」

 (ん?何が90%なんだろう・・・?たぶん精度なんだろうな…)

「じゃあ、今からこれ(細い綿棒状の何か)を鼻に挿しますので、身を乗り出してください」

 (ああ、インフルエンザウイルス検査と一緒か)

 身を乗り出すと、先生はアクリル板の穴から手を伸ばし、すぐに鼻に挿し入れてきました。

 (痛い・・・でも我慢我慢・・・!)

「吸い込んで!」

 (え?吸い込む?)

 吸い込もうとしましたが、鼻に物がささっている状態では、全然吸えるような筋肉が動きません。そうこうしていると鼻の奥の喉に達しました。そこで、ぐりんぐりん回します。思わずのけぞりそうになり、少し後ずさりしましたが、先生の手はちゃんと追いかけてきます。

 (な、長い・・・!)

 インフルエンザ検査はすぐに終わったと記憶してましたが、この先生が念入りなのか、ずっとくるくる回しています。涙目になってきて、10秒間くらい回したところで、終了。

「結果は5分で出ます。しばらくお待ちください」

 看護師に言われて、喉に残るものを感じつつ、結果を待ちました。

 

結果

 5分後を知らせるタイマーの音が鳴り、そこからしばらくして先生が来ました。今度は防護服を身に着けていません。先生の手には妊娠検査のようなマーカーが浮き出る白い何かを持っています。

「あ、陰性だったよ。どうする?薬何か欲しい?葛根湯とかいる?」

「いや、いりません」

 まあ、結果良ければすべてよし、です。

 家に帰ってから調べて分かったのですが、PCR検査でも感染者の7割くらいしか陽性にならないみたいですね。抗原検査がその90%だとすると、検出率は6割くらいということでしょうか。まあ、一定の説明責任は果たせそうですが、感染させない、感染しない努力は今後も必要そうです。

ちなみに請求された料金は1,790円でした。参考までに、Amazonで抗原検査キットを3,500円(税込)売っているのを確認しました。

運を天に任せず、流されずに流す

久しぶり

 1年半くらいブログを放置しておりました…理由は次の3点に尽きます。

  • 有益な情報を提供する影響力の高い人が多いことに気づいた
  • 現在の自分の病態をよく理解していなかった
  • 僕がずぼらだから

 特に最初の理由は大きくて、動画で発信する人も多く、僕自身も大変勉強になりました。と同時に、動画で発信する人は若い人が多くて、おっさんとしてはそうした活動を応援した方が有益なのではないかと思い、リツイートしたり、コメントしたりと、盛り上げる側に回ることにしたのです。・・・と言うと聞こえがいいですが、本当の気持ちです。

 ただ、2つ目の理由も大きくて、ブログなのに現在の話をしなかったのは、元気になってから、と思って病院通いを続け、結局今も通院しています。現在なぜ通院しているのかは、ちゃんとした診断がないので明確ではないのですが、自分の中ではパニック障害とその残遺症状ということに落ち着いています。残遺症状は、いわゆる「自律神経の失調」(過敏性腸症候群や機能性ディスペプシア含む)や不安症ですが、その辺についてはまた別の機会にまとめて書こうと思います。

 

ウンログ全公開

 では、なぜ今回筆を執ったのかというと、2019年10月から「ウンログ」というアプリで便の記録をとっており、良い感じに溜まってきたので、この辺で全公開しようと思ったからです。個人の便の記録が果たして有益な情報なのか、というツッコミはごもっともですが、一般に共有が憚られる記録ですし、ミクロの視点での記録もそれなりの期間で見れば「データ」化されて、広く共有することで何らかの意味を持つ可能性があります。

 ということで早速まいりましょう!初めに書いておきますが、このカレンダー表示における便のマークはその日の最初の便の状態(詳細は略)を表しています。僕の傾向として、最初の便は割と普通の便が出ることが多いのですが、x2やx3のように、その日の2回目3回目の便は緩いことが多く、その辺はどうか察してください。

ウンログ2019年10月

2019年10月

 最初はマメに便の色(→マークの色)も記録していましたが、大して変わらないので、以降はほとんどデフォルトの色になってます。

ウンログ2019年11月

2019年11月

 11月6日は大腸検査のために下剤を飲んだので、大変なことに…下剤はつらかったです。在宅勤務中でしたが、仕事にならず仕事をキャンセルしました。

ウンログ2019年12月

2019年12月

 x6とかありますね…きっと地獄だったと思いますが、大丈夫、今も生きています。

ウンログ2020年1月

2020年1月

 (・・・なんかこうして見てると、ぷよぷよができるんじゃないか、そんな気になってきます)

ウンログ2020年2月

2020年2月

 (x5は、ポイント5倍デーでしょうか)

ウンログ2020年3月

2020年3月

 (3月は一見すると安定していますね。でも、x3とかx4は紛れもなく下してますね・・・)

ウンログ2020年4月

2020年4月

 まさに黒歴史・・・(だんだん書くことがなくなってきた)

ウンログ2020年5月

2020年5月

 5月中旬から月曜の午前中に副業が入ります。その副業というのは、今はやってないので少し詳しくお伝えすると、とある大学での講義(前期のみ、105分x2コマ)です。ただ、この年は遠隔講義で、学生の顔が見えなかったので、反応が読めずにつらかったです。

ウンログ2020年6月

2020年6月

 ご覧のとおり、明らかに月曜日だけ便の回数が多いですね。独特の緊張感がおなかを緩めてしまうようです。特にこの年は2019年秋のパニック発作明けのため、過敏性腸症候群の症状も強めで、この副業も3年目だったのですが、初めて講義中にトイレに行かざるを得ない事態に…しかも2回も(ToT)/

ウンログ2020年7月

2020年7月

 7月になって、少しは遠隔講義にも慣れたようですね。

ウンログ2020年8月

2020年8月

 (・・・平均男性よりも、たぶん緩い方だと思ってますが、どうなんでしょう)

ウンログ2020年9月

2020年9月

 コロナ禍で在宅勤務が増えたのは基本的には良かったのですが、すべて内発的に動く必要があるため、自主的に運動するなど、自律神経のリズムを作る必要がありましたね。

ウンログ2020年10月

2020年10月

 10月もx4が2日、x3が3日。生きた証を感じます。

ウンログ2020年11月

2020年11月

 ウンログは、このマークの可愛らしさに助けられます。以下、ちょっとコメントを省きます。

ウンログ2020年12月

2020年12月

ウンログ2021年1月

2021年1月

ウンログ2021年2月

2021年2月

 便秘になることは少ないのですが、とは言っても短い周期で便秘と下痢(x2やx3)を繰り返している感じです。

ウンログ2021年3月

2021年3月

ウンログ2021年4月

2021年4月

 以上、先月の4月までです。これだけデータがあれば、小学校の自由研究くらいになりそうですね。若いころと比べても頻度は大きく変わってない気がします。

 特に何も感じなかったという方も多いかもしれませんが、自分よりも多い、あるいは少ないと感じた方もいるのではないかと思います。疑問や質問、何か気づいたことがあればTwitter(@kyojakuquest)の方にでもお気軽にお尋ねください。

5%以下の純情な感情

体脂肪率5.0%

 1か月くらい前にタニタの体重計を買ったのですが、安物でも体脂肪率計がついていて、何年振りかで体脂肪率を計ったら5.0%だったんです。このブログの初回記事をご覧の方はご存知のとおり、僕の体型はただ脂肪がなくて痩せ型なだけで、アスリートでも特別に鍛えている訳でもありません。しかも、3,4年くらい前にタニタ食堂で200万円くらいするタニタ最高性能体組成計で計ったときは4.9%だったので、0.1ポイントアップしたことになります。普段はあまり体脂肪率のことは気にしていないのですが、いくつか驚いたことがあったので、徒然なるままに記事にしておきたいと思います。

www.tanita.co.jp

 

0.1ポイントもアップしてない…だと…?

 せっかく体重計を買ったので、4,5日おきくらいで体脂肪率を計ってみました。2回目、5.0%。3回目、5.0%。4回目、…5回くらい5.0%叩き出した本日、さすがにおかしいと思って説明書を見てみたら、なんと、体脂肪率の測定範囲が5.0-75.0%であることが判明。体脂肪率を計ったことがあるみなさんなら経験されていると思いますが、体脂肪率はお風呂で汗をかいたりすると数ポイントくらい変動することがあります。ということは、つまり、この1か月の体脂肪率は5.0%より低かったと考えられます。測定限界とはいえ、5.0と5.0未満くらいは区別がつきそうなので、そのくらい表示してくれてもいいのに…と思いました。

タニタ BC-754 説明書:http://www.tanita.co.jp/cms/common/pdf/support/bc_series/BC717_753_754_220_75H.pdf

 

体脂肪率の推移

 とまあ、僕は体脂肪率が正しく測定できない体型なのですが、特に望んでこの体型になった訳ではありません。小学校に入るころからずっとやせ型で、中学のときからずっと腹筋が割れており、たぶん20代の頃までは体脂肪率は8%前後でしたが、ここ何年かはおそらく5%前後なんだと思います。ですが、人並みに食事をして人並みに運動をした程度で、特に何の努力をしたわけでもないため、この体型は遺伝と体質によるものです。お腹が弱かったので、医者に診てもらうとき、お腹の触診を受けると、
「いい体しているねぇ。何かやってるの?」
と、2回に1回くらいは言われましたが、「別に…」とエリカ様状態でした。

 

体脂肪率5.0%以下が目標?

 「体脂肪率5%」とgoogleで検索すると、すぐに下記のようなサイトが出てきました。

kintore-master.com

 一読してみると、なんだか事実に基づかないような記述が気になります。このような煽情的な記事を放っておいても害になるだけなので、体脂肪率5%以下の身としてきちんとコメントしておきます。まず、

 体脂肪率5%では「体力が落ちる」ということがよく見られます。

この記述。「よく見られます」という主観的な表現なのが無責任な感じですが、実際に体脂肪率5%を数年やってても、他人と比べて特別に体力がないとは認識していません。もう何年も毎月30,40時間程度の残業もこなし、さらに会社とは真逆の方向にあるところで副業もしてきました。確かに、ちょっとお腹が空いた時にパフォーマンスが落ちることを自覚できるかもしれませんが、問題なく、普通に生きていけます。次、

冷え性になる」というのも、体脂肪率5%では起こる可能性があります。

「起こる可能性」って言えばそれは否定できませんが、その後の記述を読んでも、単に「寒さに弱い」ってだけで、いわゆる冷え性の記述ではありません。確かに、脂肪がないと、寒さには弱いです。冷えるとお腹にもきてしまうので、基本的に冬は嫌いです。ただ、僕は、10代後半くらいに、冷え性っぽいところがありました。夜、布団の中で手足の指が冷えてつらい、というものです。ですが、特に何か対策をしたわけではありませんが、20代からは冷え性ではなくなりました。

体脂肪率5%で最も注意したいのが「免疫力が低下する」ということです。先述した通り、体脂肪率5%以下になると体温を保持できずに冷え性になる可能性が高まります。

へー、って感じです。まあ、子供が1,2歳の頃は1,2か月に1回くらい風邪をひくので、何回かもらってしまいましたが、これまで1度もインフルエンザにかかったことはありませんし、いわゆる大病になったこともありません。

 この記事は、この後、「体脂肪率5%を目指す方法」と続きます。が、体脂肪率が8%から意図せず減ってしまった身としては、

体脂肪を落とすということに関してダイエットは欠かせません。

などと言われても。「いや…あの、あんまり無理して体壊さないでくださいね」としか。唯一まともそうな記述は、

食事量を管理し、摂取カロリーよりも消費カロリーを大きくすること

くらいでしょうか。

 

あとがき

 どうでもよさそうな記事に毒づいてしまいましたが、こういうこともちゃんと書いておこうと思った経緯について最後に触れておきます。twitterでは過敏性腸症候群IBS)の方だけでなく、機能性ディスペプシア(FD)の方も多くフォローするようになり、「食欲がなくて、ここ数か月で体重が〇kg減ってしまった」「不安だ」といったようなツイートを目にすることも多いです。僕も学生の頃にFDだった経験がありますが、食欲がない時はかなりつらいと思います。体重が減っていく不安も理解できます。今回体脂肪率について記事を書いたのは、摂食障害にならない程度に食べていれば、痩せるだけではそんなに弱らない、ということを示したかったからです。このブログのタイトルのとおり虚弱なのに、矛盾するかもしれませんが、虚弱でも問題なく生きていけます。

【書評】奥田昌子著『胃腸を最速で強くする』

前置き

 今回は、初の書評記事です。本当は別の本を買うために行った本屋で、目的の本の隣にこの本があり、斜め読みを20秒くらいして(両方とも)即買いしました。まずは本書の構成を書いておきます。

奥田昌子著(幻冬舎新書
タイトル:胃腸を最速で強くする
サブタイトル:体内の管から考える日本人の健康
構成:
 第1章 体を支える管たち
 第2章 健康の要・消化管のしくみと働き
 第3章 その生活習慣が胃腸を傷つける
 第4章 なぜストレスで胃腸は壊れるのか
 第5章 管をいたわる健康法

 https://www.amazon.co.jp/dp/4344985427

 

ネガティブな面

 さて、結論から言うと、「日本人の約10人に1人」と言われる過敏性腸症候群IBS)をはじめ、いくら検査をしても原因が特定できない消化器官の症状を持つ方、本書では機能性ディスペプシアなども含めて「機能性消化管障害」とくくっていますが、その方々にとっては、もしかするとそこまで有益な情報は書かれていないかもしれません。理由は、次の通りです。

  • 5章構成のうち、1~3章は、消化管に関するしくみや生活習慣などの因果関係がはっきりしているタイプの障害について解説されており、他人事に感じられるかもしれません。
  • 4章でストレス性の機能性消化管障害に関するしくみが解説されており、最後の5章でようやく対策方法について触れられていますが、特にIBSの方は自分の体調の因果関係を調べようと必死に知識を付けてきたと思いますので、多くの事項は既に知っている可能性があります。

 それと、読者によってはお勧めしかねるもう一つネガティブな情報を先に出しておきます。

  • 「〇〇の人は、がんになる確率が〇〇の人に比べて〇倍です」という記述が頻繁に出てきます。〇〇には、どうにかなる生活習慣もあれば、既に読者が罹患しているかもしれない障害であったり、あるいは血液型であったりして、読むことで悲観的になり症状が悪化しかねません。

 

ポジティブな面

 と、ここまでネガティブなことを書きましたが、実は総合的な満足度は決して低くありません。つまりお勧めはしづらいけど、僕は面白かった、ということです。理由をまた箇条書きにすると、次のようになります。

  • 各項目の文量が多すぎず、必要な場面で図やグラフがあり、重要なセンテンスは太字になっており、客観的で定量的な説明が多く、ロジックがシンプルで、つまり、とてつもなく読みやすい
  • 幅広い知見がよくまとめられており、勉強になる
  • 最先端の研究についても触れられており、ありがたい(今年の3月第一刷発行)

 いや、本当に筆者(編集者)の方の「情報収集能力」と「伝える能力」の高さには驚きます。真似したいです。

 以上をまとめると、本書は、次のような方にお勧めします。

  • 胃腸のしくみと障害について基本的なことから勉強したい人
  • 胃腸の健康全般について簡単なリファレンス本として利用したい人
  • 健康法を知ったとき、ちゃんと記憶して人に伝えたり実践できる人
  • たとえ収穫がわずかでも新しい知見や健康法を知りたい人
  • ネガティブなデータも気にならない人

 

印象的なセンテンス

 ここまで、抽象的なことばかり書いてきたので、最後に、驚いたことや共感したことなどをいくつか引用しておきます。(太字は原文ママ

  • 脳がストレスを感じ、その影響が消化管におよぶしくみには自律神経以外の経路もかかわっていることが、近年、少しずつ明らかになってきています。(第4章)
  • 機能性消化管障害や心身症のつらい症状が起きる人と起きない人がいるのはなぜでしょうか。一つは遺伝の影響です。(中略)ただし、一卵性双生児であっても、もう一方の双子が過敏性腸症候群になる確率は約14%に過ぎず(後略、第4章)
  • 過敏性腸症候群は、少し前まで、(中略)四つに分類されていました。現在ではガス型は過敏性腸症候群の仲間からはずれ、機能性腹部膨満症に分類されています。(第4章)
  • 日常生活のなかで胃腸をいたわることがなければ、病気は形を変えて何度でもあらわれてきます。管の声に耳をかたむけて、その健康を守る最終責任は、管を持つ私たち自身にあるのです。(第4章)
  • 腸内環境を整えるにはヨーグルトより食物繊維を(第5章)
  • とくに身近な人との関係では、人は人、自分は自分と割り切ることも重要です。(第5章)

 ここで、「最終責任は、私たち自身にある」というのは、IBSのような普段から体のことを気遣わなければいけない人にとっては、いわゆる「自己責任論」のような医者から見放されたような酷なことに映るかもしれませんが、趣旨はまったく違うと思っています。自分の体に自分自身が向き合って、体質も含めて認めたうえで、医者の助けを借りつつも最終的には自分こそが一番健康にする能力を秘めていることを信じてください、というメッセージだと受け取りました。ときには弱音を吐いても構いません。でも、悲観的にならないように、視野を広げていきたいですね。

世界の厠から

趣味は海外旅行

 今回の記事のテーマは海外旅行です。そもそも僕のようにお腹が緩みやすい人は、国内旅行はおろかちょっと遠くの町まで行く時も利用できるトイレの位置を常に気にしなければないと思います。そんな僕の趣味が海外旅行と言えるようになったのは、何度か一人旅を重ねて自信をつけた25歳くらいでしょうか。

 ちなみに、どうでもいいおっさんトークを挟むと、今から30年くらい前までは駅のトイレには紙がなく、トイレの前にある自販機でトイレットペーパーを購入する必要がありました。ちょっと多めのポケットティッシュみたいなのが100円で売ってたのを記憶しています。今はどのトイレに行っても紙がある本当にいい時代になりましたね。

 閑話休題。さて、こちらの記事で書いたとおり、大学2年までは胃の調子が悪くて海外旅行どころではありませんでしたが、胃の調子が回復してくると、高校の同級生が海外旅行を楽しんでいる話がちらほら聞こえてきて興味が出てきました。ただ、海外旅行に行くのはなぜか女子ばかりで、純粋な興味だけではなく、「男子は出不精でだらしない。ならば俺が行ってやろう」という気持ちもあったと思います。

 

肌にあったタイ・カンボジア

 もちろん、お腹がが緩いのに海外に行ったら大変なことになるんじゃないか、という心配はありました。なので、最初の旅はどんなことがあっても頼れる気心の知れた友達と、男二人で行くことにしたのです。行先は、複数の同級生から話を聞いて良さそうだから、という理由でタイ・カンボジアにしました。その日の宿をその日に決める、気ままな旅で、10日くらいの旅程だったと思います。

 結果は…、すごく快適でした!タイはバイクや車の排ガスが臭かったけど、温暖な気候が最高で。いや、よく考えたら、正確にはカンボジアで1日だけお腹を急激に下したことがあって、トイレに間に合わずほとんど日没だったから闇に紛れて河原で野グ…キジ撃ち(※)したことを思い出しましたが、なんというかそれは旅行中の一瞬の出来事でした。むしろ相方の方が最後の方の日程で1日間くらい腹下しでダウンしていたくらい、僕の方は何ともなかったのです。快適で安くて美味しいタイ、強烈な印象を残すアンコールワットカンボジア、また行きたいな。

※キジ撃ち…山岳用語で、平たく言うと野グソ。

ja.wikipedia.org

 

一方、フィリピンは…

 翌年、調子に乗って1人でフィリピンに行きました。フィリピンの大学に留学していた友達がいたからです。フィリピンは…美味しくありませんでした。焼き魚に赤いバナナケチャップを付けて食べていましたが、なんだか味気ないのです。味だけでなく、1週間くらい過ごしたところでだんだんお腹が緩んできました。もう、ゆるゆるで。日本で食べた方がおいしそうな紫色のハロハロにも食指が動きません。なのに、25日間もの旅程を組んでしまったので、後半は全然楽しめなかったのを記憶しています。5つの島を転々としていたのですが、その時々で旅を共にした日本人や現地の方には大変お世話になりました。家に泊めてくれたおばあちゃん、まだ元気にしているかな?

theculturetrip.com

 

旅のスタイルが確立したイギリス・アイルランド

 この調子で各旅行のことを書いていくとキリがなくなるので、巻きで書きますが、次の年はイギリス・アイルランドに一人旅で行きました。この頃はお腹も安定していてお腹のピンチは少なく…とはいえ、1つだけ思い出すのは、ジャイアンツコーズウェー(巨人の石道)という奇観を歩いて見に行った時、たぶん1日中歩いていたと思うんですが、歩きすぎて夕方やっと着いたバス停のトイレでお腹を下しました。いや、下したことはもはやどうでもいいんですが、勢いよくトイレに入って用を足したため、紙がないことに気づいても後の祭り。幸い隣の個室に人がいたので拙い英語で紙を分けていただいたのが良い思い出です。

ja.wikipedia.org

 

急転直下的まとめ

 その後も、ヨーロッパ各国、トルコや南米など、計20か国以上回ったかと思います。IBSが改善傾向にあったから行けたとも言えますが、旅行中なのでお腹のトラブルはたびたびありました。とはいえ特筆すべきことはなく、どの旅行もいい思い出になりました。

 今若い方でIBSで苦しんでいる人には海外旅行なんてもってのほか、と考えている人もいるかと思います。確かに、症状がひどいうちは行けないでしょうが、少しでも改善してきたときにでも、実際に行ってみると、僕が最初に行ったタイのように、「むしろ日本よりも快適に過ごせる!」みたいな国に出会えるかもしれません。

 多くの人にとって緊張や安堵を繰り返す旅行にお腹のトラブルはつきものです。そのため、むしろ日本にいるより気兼ねなく人を頼ることができると思います。また、無事に帰ってくると、一種の達成感も味わえ、自信につながります。無責任にお勧めはできませんが、そんなこともあるんだ、程度に心に留めていただければ幸いです。

ガスの巨星

IBSガス型?

 このブログを参考になりそうな人に伝えるために、ツイッターで「自律神経」「過敏性腸症候群IBS)」などのキーワードでユーザー検索をして驚いたことがあります。それは、ユーザーのプロフィール欄から、若い女性かつIBSの「ガス型」の人がとにかくたくさんいると分かったことです。

 実は検索して、IBSにガス型という種類があることを初めて知りました。というのも、日本消化器科学会のIBSの分類でも、下記サイトのとおり「便秘型」、「下痢型」、「混合型」、「分類不能型」と書かれており、ガス型には触れられていません。

https://www.jsge.or.jp/guideline/disease/ibs_2.html

 IBSガス型については、ウェブで検索すれば確かに専門家による記述もあり、認知もされているようですが、下記サイトには、「多い順に便秘型、下痢型、便秘下痢交代型、ガス型とされています」とあります。ガス型は相対的には少ないようなのですが、ツイッターに多いのは同じ症状の人と情報を共有したくなるほど社会的につらい症状だということかもしれません。

http://www.kokorotokarada.net/disease-chou.html

 

自身のガス史

 さて、それを踏まえて、僕自身の場合はどうなのかというと…IBSの下痢型が主で、時々ガス型だと思うようになりました。医者からちゃんと診断を受けた訳ではないので、自分の過去の経験から判断しているにすぎませんが、今回はガスにまつわる経験を書いておきます。

 僕には自分のおならが人よりも臭いとはっきり自覚したことがあります。それは、中学の理科で硫化水素の発生実験を行った日です。学年までは忘れてしまいましたが、あの、いわゆる「腐卵臭」を嗅いだ日の夜、同じようなにおいのおならが出ました。腐卵臭を嗅いだからお腹に悪さしたのかどうか、そこまでははっきり分かりませんが、IBSであれば可能性は否定できません。

 いずれにせよ、その日からとにかく臭いおならが続くようになりました。特に冬に多かったと思いますが、臭いおならの時期がありました。自分の布団で寝ている時が一番安心しておならを出せるので、敷布団を干していた母から、「布団からおならの臭いがする」とたまに言われました。敷布団にしっかり充填できるくらいは大量にそして臭いおならをしていたのは間違いありません。

 

自覚症状

 ツイッターIBSガス型の人のツイートを見ていると、「ガス漏れ」という、自分では意識せずにおならが漏れてしまう症状に悩んでいる人が散見されます。ただ、僕の場合は、「ガス漏れ」はほぼなく、自分が意図しないとおならは出てきません。その差がどこから来るのかは分かりませんが、「ガス漏れ」する方は想像を絶する苦労があるのだと思います。

 しかも、僕の場合はおならが出る前に、おそらく直腸くらいにおならがあるときに、そのおならがものすごく臭いものか、そこまで臭くないものか、微妙な感覚によりたいてい分かります。おならが出るときに顕著な違いがあり、例えば臭いおならの場合は音が出ず、わずかですが肛門に独特の刺激があります。臭いおならは、嗅ぎなれている自分には特別に嫌なものではありませんが、身内であっても自分以外の人が嗅ぐとさすがに不快になるだろうな、と分かるものです。

 そんなおならが連発する時期が、中学から数年前までありました。1回の期間は1、2週間~数か月間と幅があり、妻とは「ウラン期」と名付けて呼んでいました。なぜウラン期なのかは…長くなるのでやめておきます。それよりも大事なこととして、ウラン期の便は決まって軟便でした。軟便だとトイレットペーパーを沢山使います。というか、軟便である時期があまりに長く、若いころは便なんてこんなもんだろうと思っていましたが、ウラン期を脱して軟便ではない、みんながしているであろう普通の便を「自覚」した時に、軽く感動したのを覚えています。だって、トイレが短時間で済むんですから!

 

試行錯誤

 これまでウラン期は唐突に始まり、いつの間にか治る、を繰り返してきました。もちろん、ウラン期を早く収束させるための努力をしてこなかったわけではありません。子供のころから、とにかくお腹を治すにはビオフェルミンを飲んでいました。親から勧められて、なんとなく飲んでいただけです。結局ビオフェルミンがきっかけでウラン期が治ったことはたぶん1度もなかったと思います。

 整腸剤をあれやこれや変えて試しましたが、初めてはっきりウラン期を止めたという認識したのは社会人になり結婚してから「ガスピタン」という薬を飲んだ時です。それまで長期間(たぶん1,2か月間)ずっと続いていたウラン期がまさにピタッと止まったのです。
 

www.kobayashi.co.jp

 ただ、その後もウラン期が来るたびにガスピタンを飲みましたが、その時のようにピタッと止まることは残念ながらありませんでした。量が足りずに腸まで生きて届かないのかと思ってガスピタン2倍飲み、とかやってみたんですけどね、だめでしたね(笑

 

寛解

 さて、今はどうなのかというと、なんとこの5、6年、ウラン期が来ておりません。なぜなのかはさっぱり分からないので、有効なアドバイスができそうにありません。子供ができて適度な緊張感がよかったのか、仕事が忙しくて充実しているのがよかったのか…あるいは単に年を取って腸内環境が変わったのかもしれません。

 若い方に言えることがあるとすれば、IBSのガス型から一生逃れられない、訳でもないかもしれない、ということと、おならの臭いはだんだん自分も周りも年齢とともにそこまで気にならなくなる、ということです。若いうちは、特に女性は悩むと思いますが…今はつらくとも未来は間違いなく明るいです。

さよならパーフェクトヒューマン

完璧主義と大学受験

 僕が胃腸の調子がはっきりと悪いと感じたのは大学1年の時。とはいえ、大学に入る前も他の人と比べればお腹は緩い方だった気がします。高校時代は、数学が好きで、高校2年のときには仲の良い友達と週末に集まって数学の勉強会を開いていました。高3に上がる春休みに、高3の数学(当時は数IIIと数C)の内容を一気に勉強したのを覚えています。それは誰に言われた訳でもなく、高3の問題集を自分で購入し、春休み中に終わらせることを目標とし、マイペースに取り組んで達成したのです。成功体験は自信に繋がり、概ねいいことだと思います。受験期は、ただ勉強だけしていればよい、という後にも先にも最も気楽な時期でした。ただ、一方で完璧主義や潔癖に近い性格に拍車がかかったのもこの時だったかもしれません。

 大学受験の次の日、お腹を壊しました。受験という大舞台を無事に乗り切った安堵感から、緩んだんだと思います。この時は合否判定もまだ出ていませんでしたが、すべり止めも受かっていたのでやり切った感がありました。精神的な疲労がお腹に影響を及ぼすことを身をもって知ったのですが、まだこの時はそのことを直視する必要を感じていなかったと思います。

 

大学1年生、通学と講義

 無事に希望する大学に入ると、生活は変わりました。1番の変化は通学で、高校では自転車で25分だったのが、毎日満員電車に乗り、3回も乗り換えて約1時間。満員電車では、人に迷惑をかけてはなるまい、とつり革や手すりを握り、流れに逆らうように、自らが柱と一体になるように努めました。

 学業でも難しくなった講義やライバルの多さにプレッシャーを感じていました。おまけに高校は男女共学で明るかったクラスも、大学ではほとんど男子学生ばかりで、多様性に欠け、何となく暗い、元気のないイメージ。次第に胃の調子が悪くなり、病院で胃薬をもらうようになりました。

 空腹になると胃によくないので、この時はコンビニやスーパーで150円くらいで売っている5,6個入のレーズンロールパンを必ず持ち歩いていました。空腹で講義を受けていると、お腹(胃の辺り)からキュルキュルと音がしてきます。お腹がすいた合図の「グー」とかそんな可愛いものではなく、「キュルキュルキュルキュル」という感じで鳴るんです。周期的に続き、空腹なのに胃酸が出てそうで、放っておくと胃が荒れるんじゃないか・・・そんな時、パンを食べるとそうした症状は一時的に収まり、少し楽になったものです。

 また、胃の不調だけではなく、喉に常になにかがひっかかっているような違和感(異物感)がある「咽喉頭異常感症」も出てきました。明らかに異常でしたが、友達が「おやじも学生時代にその症状があったらしいよ」と聞くくらいで、周りにはあまり知られていないようでした。

 

大学病院と同期の「先輩」

 胃の症状は波がありましたが、断続的に続くことになります。自宅の最寄り駅の近くにあった大学病院の内科に1,2か月に1回行ってましたが、1、2時間待合室で待たされても、診察では、前回から少し間が空くと血液検査を行い、触診の後、「薬出しておきます。運動しましょう」くらいなもので、結局いつも通りムコスタという胃の粘膜を保護してくれる薬をもらうだけでした。当時は当然スマホもなく、読書習慣もなかったのでこの待ち時間は苦痛でした。フードコートのような受信型ベルを渡してもらえれば、病院外で待つのに…と外来のシステム改善のことばかり考えていたのを覚えています。

 大学のサークルの同期に、同じような体調不良を患っている「先輩」がいました。今、仮に彼をT君とします。T君は心療内科にも通っており、向精神薬(確か抗うつ薬)や筋弛緩剤を常に持ち歩ていました。T君によると、「胃の不調→緊張→肩こりと悪循環を起こすので、どこかで断ち切る必要がある」とのこと。T君に胃の不調について相談すると、僕の眉間の辺りに指を近づけ、「これ、どう?嫌な感じしない?」などと聞いてきたのを覚えています。素直に嫌であることを認めると、「あー、やっぱり傾向あるよ」と。当時はそんなもんなのか、と思いましたが、誰だって眉間の前に指を近づけられたら嫌ですよね?きっと。

 ちなみに心療内科は人気で、(今はどうなのか分かりませんが)予約を入れようにも3か月待ちや半年待ちが当たり前とのことで、行く気をなくしました。

 

胃カメラとアンケート

 胃は徐々に悪くなってきました。大学1年の冬だったか正確には記憶が定かではありませんが(※1)、いつもの大学病院で、これまで以上に何とかならないのかと訴えたところ、胃カメラをやることになりました。胃カメラをやることに抵抗がなかった訳ではありませんが、少しでも状況が好転するなら、いや、最悪好転しなくても原因を知りたい、という思いから即決しました。

 胃カメラ当日。前日もキリキリと痛む胃痛があり、間違いなく何かある、という確信がありました。胃カメラの前に、アンケートを渡されました。アンケート項目はほとんど忘れてしまいましたが、完璧主義のような性格に関わる項目や自律神経の乱れからくる症状の有無などの項目ばかりがずらりと並んでいたと思います。そのアンケート項目はまるで自分のことかと思えて目から鱗でした。胃の不調と性格傾向の相関がはっきり結果に表れるはずで、たとえ仮説であっても相関が分かってるなら、今後の治療は期待できるかもしれない…と思ったのでした。

 さて、この時の胃カメラは経口内視鏡(口から内視鏡を入れるやつ)だったので、僕には結構な地獄でした。何がつらいかは詳しくは書きませんが、途中で医師(?)が「あー、あるある!」などと言っていたのですが、僕にはモニタの方を向く余裕はありませんでした。みなさんも受けることがあれば、病院によって選ぶことができる経鼻内視鏡(鼻から入れる)をお勧めします。経鼻内視鏡がどんな体験なのかは、また別の記事にします。

 後日、内視鏡検査の結果が出ました。胃炎が3か所、びらんが3か所。確かに、胃は痛んでいたようです。また、生検(※2)の結果、ピロリ菌はいませんでした。確かに、胃の不調は客観的に認められました。ところが、満足に原因は説明されず、処方される薬は前と変わりませんでした。僕は、あのアンケートはいったい…と憤りを感じるばかりで、結局好転にはつながらず、原因も分からずじまい。まあ、腫瘍がなかっただけよしとすることもできますが…。

※1内視鏡の日程:当時の手帳が発掘されて日時が判明。1998年9月30日8:45~でした。前日の食事は18時までだそうで。すごいな当時の手帳。

※2生検:内視鏡で胃の粘膜の一部を切り取って、菌や腫瘍の存在を詳しく調べる検査。

 

妥協、そして快方へ

 大学2年に入っても、胃の調子は不安定でした。体力的にも精神的にも疲れ果て、色々なことに気が回らなくなってきました。勉強もおろそかになり、色々とあきらめざるを得ない状況に追い詰められたとき…、もう現状を受け入れ、妥協することにしたのです。いや、もっと言えば、今のふがいない自分を否定する自分をやめたのです。当時は、自分で性格を悪い方へ改造する、という決意もあったと思います。完璧主義を完全に捨てる覚悟をしました。人から「テキトーな人」と思われても構わない。テストは悪くてもベストエフォート、どんなに低くてもそれ以上を望まない。通学電車の中でも、流れに身を任せることにしました。

 症状に波があり自分の気持ちも見えないので、はっきりとは因果関係が分かりませんが、色々なことをあきらめることで、胃の調子や咽喉頭異常感症も徐々によくなってきました。こうして、約1年半にわたり続いた胃や喉の不調は、概ね回復することになります。

 

今、思うこと

 今回の記事では、一番書きたかった学生時代の胃(と喉)の不調のことを書きました。回復して、後になって、あの時胃が悪かったのはなんだったのだ、と思うことがたびたびあります。胃の不調は、ちゃんと診断をしていただけませんでしたが、神経性胃炎(機能性ディスペプシア:FD)だったのではないかと思っています。不調のきっかけや拍車をかけていたのは、おそらく満員の通学電車です。毎日のあの非日常体験は、明らかにストレッサーになっていました。満員電車に乗らない努力もできたかもしれませんが、僕の場合は現状を受け入れることで、ストレスの軽減が図れたように思います。答えは一つではないと思いますが、ストレスを軽減するために、自分の性格を意図的に変えるのも一案です。僕の場合は追い詰められて変えたので、一般にオススメできる案ではないのかもしれません。ただ、そういうケースもある、と前向きに捉えていただければ、と思います。ちなみに、今でも締め切りなどにルーズな、テキトーな人のままです。人に迷惑をかけている自覚すらあんまりありません。みんなお互い様でどうにかなるもんです。

 また、このときの経験から、西洋医学の病院に、ストレスが原因の症状の根本改善は期待できないというのを痛感しました。西洋医学では、臓器の器質的(物理的)な異常は改善できますが、異常を起こしている原因が心因性のものであると(おそらく分からないことが多くて)対処できません。もう少し別の言い方をすれば、性格や体質に基づく原因そのものをどうにかできる術がないのです。今後遺伝子治療などが進めば話は変わるかもしれませんが、現状ではすべての仕組みを科学的に理解しようとする西洋医学的手法に根本治療を期待しない方がいいでしょう。